
BASTA COSI' PER ORA.
彫金師チェリーニについて。
ローマにあるコロッセオは二千年前の円形競技場だが、約四万五千人の収容人数は東京ドームとほぼ同じである。この廃墟でチェリーニの時代には黒魔術の儀式を行っている人間がいたようだ。話を持ちかけられて大いに興味の湧いた彼は一度儀式に参加することになった。
夜間にそれは執り行われ、香の煙が立ち昇るにつれておびただしい数の姿が現れたという。懐疑的に見れば煙がそう見えたのだろうが、しかしとにかく少数であった参加者たちは恐怖におそわれた。チェリーニはというと同様にひるみながらも、白目をむいている仲間を励まそうとして香をくべるように言った。するとその男は動きにかかったとたん大きく放屁し、同時に大量の・・・を・・・した。チェリーニは笑いだし、膝をかかえておびえきっていた少年は立ち直った。
その際に黒魔術師を通してチェリーニは亡霊たちに祈願をかけて、はぐれていた惚れた女に会わせてくれるように言い、聞き届けられていた。そのかわりにその期間は厄に巻き込まれがちな不吉なものであると注意をうけていたが、実際に争いごとが起こってチェリーニはローマから一時脱出したのだが、その旅先で約束されていた日付に例の女に会うことができたのだった。
最後に、有名なペルセウスの逸話・・・しかし、よく考えるとこれはまだ読んでいなくて興味のある人にはネタばらしなので、このへんで終わりにしておく。とにかく破天荒な話が続く。
(チェッリーニ自伝は岩波文庫から二冊組で出ているが増版されておらず、古本屋などで手に入る。)
チェッリーニ自伝 全二冊 古賀 弘人 訳 岩波文庫

BENVENUTI INVECE VOI AL MIO BLOG.
彫金師ベンヴェヌート・チェッリーニについて。
ベンヴェヌートとは英語で言うWelcome、日本語で言う「ようこそ」さん、「よろこびをもって迎えられる者」である。
チェリーニは無造作に「極悪芸術家」と呼ばれていることがあるが、これはある程度時代環境を無視して切り取った評価だと思う。たしかに彼は暴力で解決を計ることが多かったし、神聖ローマ皇帝軍のローマ侵攻に対する防衛戦への参加を別にしても(−この戦闘がローマ劫略へと続き都は荒廃した−)、幾人かを殺傷している。しかし彼の喧嘩はときには法律家も一枚噛んださまざまな陰謀や公の侮辱、強盗の襲撃など危害を加えられた時のものである。パトロンの気まぐれや嫉妬者による姦計によってミケランジェロのような人も事業とそれにかけた時間・労力を無にしなければならなかったし、己れの身を守るためには芸だけしかなかったのである。
どちらにしてもチェリーニはさまざまの思惑も絡んで牢に入れられているからお勤めはしている。これはしかし陰謀によるものだったが、どちらにしてもただでは出てこなかった。地下牢で祈りと賛美歌にふけりキリストを幻視してその後それを彫刻にしている。入牢直前はサンタンジェロ城に幽閉されていたが、そこからは自力で脱出して彼を支持する人物の邸宅までたどりついた。
主にこの脱獄について、スタンダールの小説「パルムの僧院」はチェリーニ伝に影響を受けている。それにしても「小説より奇なり」で、作品ではたくさんの外部の協力者によって主人公は脱出したのが、チェリーニは牢内の素材で縄をつくり、外した金具の釘の頭をロウでこしらえてごまかし一人で脱出したのであった。(ここの城代は蝙蝠人間になったという妄想につかれていて、チェリーニと食事を共にしながらも両目はパリとロンドンを見ていたらしい。)
脱獄を聞いた法王は「大したことをやる奴だ」と言ったが、口がすべって自分もむかしそこから脱獄したことを自慢してしまうのだった。
まだふたつほど書きたいエピソードがあるので次回につづく。
写真:ベンヴェヌート・チェッリーニ作 「塩容れ」

.. DISSE LUI TUTTO INBESTIATO.

フィレンツェをつらぬくアルノ川にかかるヴェッキオ橋の真ん中、町のへその位置に彫金師べンヴェヌート・チェッリーニの胸像がある。チェッリーニは1500年ちょうどの生まれでミケランジェロの次の世代にあたり、互いに認め合う間であった。
チェリーニは彫金師、つまり装飾家であったがのちに能力のおもむくままに彫刻の制作もした。その代表作がシニョリーア広場に「君臨する」ペルセウス像である。血潮のしたたるメデゥーサの首を掲げるこの像は、君候と戦争の時代に町の為政者に作られたことを思えば当時は威嚇的に写ったでもあろうか。たしかに比べてミケランジェロのダヴィデは古典的な単純化を経た姿によって象徴的・普遍的でさまざまの解釈を許すように思える。
この像が仕上げに入ったときには多くの人々から賞賛の詩が届けられた。チェリーニ本人はなかでも画家ポントルモ、ブロンヅィーノの賞賛が慰めになったと語っている。
チェリーニの作風はマニエリスムといわれる傾向のなかではその欠点を自然主義で補っている作家だと言えるかもしれない。もっともマニエリスム自体は今日ではやはりその特殊性を認めるという見方も幾分ある。それは、なんと言っても内容を盛りこんだ迫力はあるのであって無条件にペダンティックな仕方で軽蔑し去るべきようなものではない。それでも、同じ広場に作品を残しているいくらかの作家について彼はくそみそにこきおろしているのだが、たしかに彼らよりも動勢の歪みがすくないように思われる。
そして、同作品が君主の威嚇的権力の表現でもあるかと思われるとしても、チェリーニ自身君主たちの専横には屈することなくかつ争いかつ決別したのであった。彼はしかし忠実で献身的な僕でもあり、このような自主独立の権化のような人でもあった。それは彼なりに筋を通したと考えれば矛盾ではないであろう。
それにしても私が言いたかったのは単にどれほど彼の自伝がおもしろいかと言うことなのであった。ゲーテは自らこれを独逸語に訳している。もう長いので次回につづく。
Benvenuto Cellini artworks (web gallery of art): http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/c/cellini/index.html
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