或女にかわりてよめる
うつそみに神のゆるさぬゑにしとはかねて思へど猶し悲しも 伊藤左千夫

(うつそみにかみのゆるさぬえにしとはかねておもえどなおしかなしも)
ある女に代わって歌う−
この世では許されない在り得ない関係であると常々思ってはいた。
しかしながらそれでもいとしさをおさえることができない。
伊藤左千夫師の和歌を鑑賞する。ここでする鑑賞については出版ではないし自分の学習のためにしようと思う。従って不備不足、これはいずれにしてもいつでもありうるものだが、もしそれがあればあとで補おうと思う。
意味は大体訳したような感じだろうと思う。代わって、というのはなり代わってなのか、あるいは、「私は同情し悲しみを己れに禁じえないと」いうふうにもとれるように思うが。
「えにし」縁、縁むすびということばには「関係」にはない因果や運命感のようなものがやはり濃淡は別としても残ると思う。ともあれ近代風に事実のみに対応したこの言葉で訳した。縁とここで言っても意味がよく通らない。
なおし の し は強調の助詞で上代語。万葉に倣った左千夫の歌は上代のことばを基本とする。おわりの も はおなじく上代の詠嘆の助詞。
「うつそみ」は「この世の人」又は「現世」の意で、もと現人(うつしおみ)の約で、のちに「うつせみ」に転じる。うつせみにあてる空蝉の字はしたがって当て字だが、仏教的な意味を添えていて興味深いと思う。ここではたぶん「神」との対比で浮彫りにした「人間」ということで人のほうの意味ではないかと思い直したのだったが、隣にあった類想歌では明らかに「この世」の意味なので同様とするのが自然と思う。
又「悲し」は愛おしいというほうなら「愛し」かひらがなで書くだろうかと思ったが、どうも左千夫は「悲し」でイトオシイの意味に用いていることがあるようなので意味の上でそう取るのが自然かと思う。いずれに訳しても歌の意味に変りがないように思える。「いとしいからかなしい、せつない」というのがどちらにしても分かるから。
さて古文の原文はリズムある形式と古文の品格によって遠い風景につながるようなものであると思う。「切れ」ということはすべての形式ある詩形にはさまざまの相であてはまると思う。それはまた呼吸でもある。和歌も俳句も上五で一呼吸ある感じにどうしてもなるような気がする。そして和歌ではシンメトリカルな五・七・五のあとで七・七で畳み掛けるように終わっていく。
左千夫師の歌は文庫で読んでその立派であるのに感嘆したのであった。
Photo by (c)Tomo.Yun www.yunphoto.net

SONO BELLE E CARINE, E CURIOSE! ANDATE A VEDE'
Cacaoさんがきれいな写真をアップしているブログ "Cacao86" を紹介します。肩の力が抜けた楽な感じで、とてもいいと思います。許可を得まして紹介用に数枚アップさせていただきます。
Cacao 86 様
http://cacao86k.blog67.fc2.com/





Photo by (c)Cacao cacao86k.blog67.fc2.com

TOKYO NON E' POI COSI' MALE, FANNO PENSARE.
Here I'd like to introduce the blog of Cacao, "Cacao87", where you can see many beautiful, cute and curious phots of tokyo. Take a look, it's worse taking a minite.
Phots above are some of phots from the blog, which I put here with permission.
Cacao 86 :
http://cacao86k.blog67.fc2.com/
いじめについて松井秀喜選手のメッセージ

各地で続く学校でのいじめを苦にした子供の自殺に、ニューヨークでオフを過ごしているヤンキースの松井秀喜選手(32)から産経新聞にメッセージが届いた。
■本紙に寄せた全文
次々と子供たちが自らの手で命を絶つことには、僕も我慢がなりません。いろいろな理由があるにせよ、いじめをしている人、いじめで悩んでいる人には、もう一度じっくり考えてほしい。
あなたの周りには、あなたを心底愛している人がたくさんいるということを。それは家族であり、親戚(しんせき)であり、友人であり、先輩であり、後輩であり、時にはペットであるかもしれません。
人間は一人ではない。いや一人では生きてはいけないのです。だから、そういう人たちが悲しむようなことを絶対にしてはいけないと僕は考えます。相手の身になって、もう一度考えてみてください。
ニューヨーク・ヤンキース 松井秀喜
子供を対象とするファンデーション(基金)の立ち上げを目指す松井選手はかつて、「いじめ撲滅」に向けて「人は夢を持っていると思う。僕の夢は野球そのものだった。いじめることが夢なんて人は一人もいないはずだ。かなう夢、かなわない夢があると思うけど、いじめは夢の遠回りになっている」とメッセージを発したこともある。
以上抜粋、変更無し(産経新聞社サイト「ニュース・イザ!」より) [- 06年11月7日8時0分更新]

各地で続く学校でのいじめを苦にした子供の自殺に、ニューヨークでオフを過ごしているヤンキースの松井秀喜選手(32)から産経新聞にメッセージが届いた。
■本紙に寄せた全文
次々と子供たちが自らの手で命を絶つことには、僕も我慢がなりません。いろいろな理由があるにせよ、いじめをしている人、いじめで悩んでいる人には、もう一度じっくり考えてほしい。
あなたの周りには、あなたを心底愛している人がたくさんいるということを。それは家族であり、親戚(しんせき)であり、友人であり、先輩であり、後輩であり、時にはペットであるかもしれません。
人間は一人ではない。いや一人では生きてはいけないのです。だから、そういう人たちが悲しむようなことを絶対にしてはいけないと僕は考えます。相手の身になって、もう一度考えてみてください。
ニューヨーク・ヤンキース 松井秀喜
子供を対象とするファンデーション(基金)の立ち上げを目指す松井選手はかつて、「いじめ撲滅」に向けて「人は夢を持っていると思う。僕の夢は野球そのものだった。いじめることが夢なんて人は一人もいないはずだ。かなう夢、かなわない夢があると思うけど、いじめは夢の遠回りになっている」とメッセージを発したこともある。
以上抜粋、変更無し(産経新聞社サイト「ニュース・イザ!」より) [- 06年11月7日8時0分更新]

今 敏 さん 応援。
AH QUESTO IO DOVREI FAR !
管理人はアニメ−ション監督今 敏さんを応援します。「千年女優」と「東京ゴッドファーザーズ」の二本しか見ていないのですが(もっとも「MEMORIES」は観ましたが)、作家さんとして奇妙に信頼しているのです。反応から推しても新作はやってくれたと予測しています。自分は今見られないですが、すくなくとも国内外のよい評判をたくさん読みました。今回は今さんがかねて尊敬していた筒井康隆さんの原作を映画化、筒井さんも満足の様子です。
下にあるのはその新作映画「パプリカ」のトレイラー(予告編)です。
また、リンク集に今 敏さんのホームページを加えておきます。ここで読める今さんの文章はとてもおもしろくて含蓄がありますよ。
Paprika trailer

Cheer to Mr.Satoshi Kon !
EH COMUNQUE PERMETTETEMI DI FARE QUESTO .
The webmaster would like to boost Animation directer Kon Satoshi. Though I have seen just two of "Millenium" and "Tokyo Godfathers" (beside I've seen "Memories"), I strangely trust him as an author. Judging also from feedbacks, I suppose, with the new work he has "made it". I can not presently watch it, but at least I've read many good remarks. This time he has made a film of a novel of Yasutaka Tsutsui whom he has been respecting beforehand, and Mr.Tsutsui seems content.
Above is the trailerof his new film "Paprika".
And I add the link to the HP of Mr Kon. His writings that you can read here are vey pleasant and interesting (Japanese site. the interview in English here : http://www.twitchfilm.net/archives/007945.html).

MA ORA PARLIAMO DELL'ALTRO.
モーツァルトがうんこのジョークが大好きだったという割と有名な逸話についてたのしく詳細しているサイトがあったので勝手ながら紹介させていただきます。
オーストリア散策 様
http://www.onyx.dti.ne.jp/~sissi/index.html
十八世紀はロココ趣味で洗練されたという面もあったけれど何かおおらかでもあったのだろうなと思わせられた。(特にこれが直接の例というわけではないが。)カサノヴァの生涯にも何か途方もないものがある。美術史のほうから接して、とにかく全体として十八世紀には魅力を感じた時期が最近あった。
私はブーシェが結構好きだし偉大な画家であると思う。彫刻のほうでもすごい人がたくさんいる。モーツァルトは確かに十八世紀の記念碑のひとつであろうし、ハイドンはラファエロに対するペルジーノのように立っている。
ポンパドゥール夫人の物語は美しい。取り立てられたヴォルテールは彼女の死に際して立派な悼辞を残した。(しかし、もしかして夫人は「パルムの僧院」のジーナのモデルなのだろうか。いずれにしてもにおいは似ている。逆にこういう人は実際にありうるということが分る。)
ところでうんこだけれども、これは衛生・環境問題につながっている。ヨーロッパでは古代ローマ人が上下水道を持っていたがその後侵入した民族が破壊し中世以降汚物が伝染病の原因になったことがしばしばあったらしい。これが総体として事実ならいわゆる古代ギリシア・ローマ人に対する「蛮族」の呼称はことこの点については容れざるをえないようにも思えるし、ルネサンスの課題はこの点で完遂しなかったということかも知れない。(確かレオナルド・ダ・ヴィンチが都市計画に上下水道の案を組み込んでいたと記憶する。)
しかしパリには1740年頃のもの以前にも1370年頃下水道が出来たとあるのだがこれはどのような規模のものか知らない。とにかくヴェルサイユ宮殿で携帯用便器か庭が用便に用いられトイレがなかったと言われている。とすれば他がそれよりすばらしく整っているわけもないであろう。もっとも農村ではわが国のように肥料として屎尿が用いられ始めたという。
すなわち最も遠い「蛮族」の国中国とその方法を導入した日本では古来からこの自然肥料が使われていたのであって、それは今一部で環境問題に有効な方法として考えられているらしいのである。これが現代人の趣味感覚に大きく逆らうとしても、例えばもし万一乾燥などの「加工」が可能だとしたらどうなのだろうか?・・・・
English Version (If you notice any error and you have good will to correct it, thank you. )

E QUINDI ORA PARLIAMO DELL'ALTRO.
Here I want to introduce a web site, in which I found the pleasant and detailed article about relatively famous anecdote, that he was very fond of joking on, doodoo.
Austria Sansaku (Japanese site)
http://www.onyx.dti.ne.jp/~sissi/index.html
It made me imagine that 18th cantury, though it was of the Rococo-taste and in part sophisticated, would have been also in some sense wide-minded time. (It's not that this case is a direct example for that, though..)
There is something starordinary also in the life of Casanova.
Approaching from the history of art, recently I had a period in which I was feeling a attraction to this century.
I like Boucher much enough and think is a great painter. Also in the field of sculpture there are many awesome people. Mozart would be certainly one of the monuments of 18th century, and Haydn stands there as Perugino stood there for Rafael.
The story of Madame de Pompadour was beautiful. Voltaire, who was favored by her, left magnigicent words on her end. (Now, maybe Madame was the model for Gina of "the Charterhouse of Parma"? In any case, the smell is similer. Reversely, it can be deduced that this type of person can exist really.)
Now as for doodoo, it is connected to sanitary and environmental problems. In Europe it is said that ancient romans had waterworks and sewerage systems, but after that the peoples that intruded destroyed them, often the filth became the cause of contagions. I suppose, if this is in general true, the appellation of "barbarians" as opposition to ancient greeks and romans, in this regard would have to be accepted.. And maybe it's that in this point Renaissance hadn't fulfilled its task . (If I remenber right, Leonardo da Vinci inccorporated the plans on waterworks and sewerage system in his city planning.)
But they say that the sewerage system of Paris had been constructed around 1370, before the case around 1740, and I don't know of which dimmension was the former one. Anyway it's said that Palace and Park of Versailles had no toilet and potable pots and the park were in use as the lavatory. In that case it wouldn't be that the other places were far beter arranged. But in the country came into use human waste as fertilizer like in our country.
It's that in the farest (so called) "barbarian" country China, and in Japan who introduced his method, from the ancient time this natural fertilaizer was in use, and presently it seems by some people considered as a valid method related to environmental problems. If this is inconsistent to taste and sense of people of today, what about then, if it should be possible to "prosess" it in some way, such as desication - ?

OP LA', ECCO QUA.
最近の世代であればゲームについてひとつふたつの思い出がある人は少なくないと思うが、このほどちょうどアメリカなどの人々でゲームの音楽にひどく関心の高い人たちのことを見たので、自分もまとめてみようかと思った。つまりマイベストテンというものがあったが、私ならこうなり、大体が羽田健太郎氏礼賛になりそうだ。
1. Suit Wizardry - We love
2. Wizardry 5 - Heart of the Maelstrom
3. WizardryWizardry 3 - The Knight of Diamond
4. Wizardry 2, Suite - Legacy of Llylgamyn
5. (space for unlistened "Ys Symphony" and "Sorcerian Symphony")
6. ( " )
7 "Ys Healing"
8. S.D.I.
9. After Burner
10. Ninja warriors (Daddy mulk) or "Shemmu"
五・六位はまだ断片しか聴いた事のないべつの羽田さんのディスクが想定で入っている。七位は「イース」のアレンジ。あとはセガの初期のものなど。「シェンムー」は何となく音楽そのものというよりこのゲームの思い出に関して。というのはゲームのなかで多少でも映画のときのような人間的なものが直接残ったものといったらこれだけかなあという気がしている。
セガさんというと家庭用ゲームは代々相対的に弱かったかなと思うのだが、昔から何か伝統的にアーケードを中心に体感的・空間的なものが得意だった印象がある。そこでこのゲームは当時では先進的な3Dの擬似生活空間のなかでドラマを展開して、「ヴァーチャファイター」的要素もカーレース的なものも入り、フロンティア・スピリットも含めてセガさんの集大成的でもあり、総合的なよい作品だったと思うのだが。もちろん最後はバランスだけども、ペーソスがあっていいドラマだったのではないかと思う。ゲームというとゲームらしい淡々としたところと情緒的なものをどうかみ合わせるかということもあるかと思うけども、このゲームではとにかく何十年か前の回し式電話や和洋折衷式家屋の日本があるのでそこにノスタルジーがあって、湯気をふいている薬缶なんかがポエジーをかもしている。逆にゲーム的要素がオーヴァードラマチックを回避するに役立っているかなという気がする。
上位のほうに入れているウィザードリィシリーズはクラシックのほうの人らしく骨組みがしっかりしている。映画系音楽というと映画の情緒を追感するのにはよくても音楽として飽きやすいという側面があるかと思うが、そういうことがない。これは作品の中世ファンタジー的な世界観とその日本での解釈からも来ているかもしれない。というのもこのシリーズはもともと音楽もついていなくてグラフィックも素朴だったのがこの音楽と末弥純氏のイラストが採用されて日本では別のイメージが加えられたらしい。それで実際羽田氏の音楽はおよそファンタジーRPGを包含するような出来だと思う。それでクラシック以外の要素も取り入れられていて全体としては電子音的であり独特なところがある。しかしやはり録音版の音楽は演奏・アレンジが当然大事なんだろうと思うが氏のものは、別に他のひとがそうでないというわけでもないだろうが、とくに力を傾注して仕上げているかなという感じがする。つまり安易なフェイド・アウトというようなことがない。つまりはうまいということだろうか。
それでファンタジーというとほかにももちろんもっと映画的とかロックよりとかいろいろアプローチもあるかと思うがやはりこれかなと思う。イースのVIとVIIのビデオクリップのものもある意味好きだし、抜かしたかたちのドラゴンクエストは自分としてはN響がやった第三部の決戦と終幕がいいかなあとも思うが、ともあれ今の私の主観客観を交えた遠近法ではこうなるようだ。
私は別にゲームはそんなにうまくないしたくさんの種類をやったわけでもないです。だから(都合のいいことを言いますが)近似値的な概観的批評として書きました。
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