GORDIAN KNOT ゴルディオスの結び目
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和歌とそれから

tree by ulan25 on flikr




ここに月五首ほど短歌を出して研鑽していこうと思っています。 六月の五首。



たそがれに松の浮かべるイタリアに色さまざまの人のいとなみ

なまぬるき夏の夕ぐれ松の葉は天に向かひて迷い気もなし

初夏のつめたき心ぬくみけりわれの思ひに答へる便りに

夏さむき風しむ身なり月しろく街を見下ろし懸かる夕空

聞く耳もなき夜の闇にひとはみなこころの叫びつくし続けむ



                              七月二日記す    GiGi









それから、U2の歌を一曲訳して、平板なものですが、返し歌として短歌をつくってみました。



かへしうた

あたらしき年に入りたるこの世界変はることなし君とあらまし



New Years Day - U2


新らしい年のおとずれた今日の日は静かで
白雪に覆われた世界はいとなみをはじめる
日も夜もわかたず僕はきみのそばにいたい
新年のこの日なにもかわりはしない、なにも

僕はもういちど君と一緒になる
もういちど・・・ 君と一緒になる

血のような赤い空のもとで
白と黒とにわかたれた群集
腕組をした選ばれた猛者たち
新聞は告げる
それはほんとうに起きたことだと

それでも僕たちは切り抜ける事ができる
いまはふたつに切り裂かれていようとも
もういちどひとつであることができるはず

僕はもういちどはじめよう
もういちど・・・始めるんだ

僕たちはこれが黄金時代だと告げられた
人々は黄金にくるわされ戦争をくりかえす
僕はただ君のそばにいたい、夜も昼もなく
あたらしい年が来て・・何ひとつ変わらない

年があらたまるこの日に
新しい年が来たこの日に


邦訳・GiGi









New Years Day - U2

All is quiet on New Year's Day.
A world in white gets underway.
I want to be with you, be with you night and day.
Nothing changes on New Year's Day.
On New Year's Day.

I... will be with you again.
I... will be with you again.

Under a blood-red sky
A crowd has gathered in black and white
Arms entwined, the chosen few
The newspaper says, says
Say it's true, it's true...



And we can break through
Though torn in two
We can be one.

I... I will begin again
I... I will begin again.

Oh, oh. Oh, oh. Oh, oh.
Oh, maybe the time is right.
Oh, maybe tonight.
I will be with you again.
I will be with you again.

And so we are told this is the golden age
And gold is the reason for the wars we wage
Though I want to be with you
Be with you night and day
Nothing changes
On New Year's Day
On New Year's Day
On New Year's Day





Fratellis--henrietta.jpg



それと、「小さなリスト」 Listina 。最近とむかしの、おもにブリティッシュ・ロックです。





Description: listina !
Track Listing:
1. Mr Brightside
2. Flathead
3. Grace Kelly
4. Lollipop
5. Are You Gonna Be My Girl
6. Look what you've done
7. Lay Down The Law
8. Carlifornia Girls
9. Air
10. Emaline
11. Carnival
12. erase and rewind(remix)
13. Killer Queen


Anchor che col partire  -  Everytime we say goodbye








Anchor che col partire                       別れの時

Cipriano de Rore (1515-1565)             チプリアーノ・デ・ローレ


Anchor che col partire                 アンコール ケ コル パルティーレ
Io mi sento morire,                     イオ ミ セント モリーレ。
Partir vorrei ogn'hor, ogni momento; パルティール ヴォレイ オニオール、オンニ モメント−
Tant'e il piacer chi'io sento             タンテ イル ピアチェール キオ セント
De la vita ch'acquisto nel ritorno.         デ ラ ヴィタ ケアクィスト ネル リトルノ。
E cosi mill'e mille volt'il giorno,          エ コジ ミッレ ミッレ ヴォルティル ジョルノ
Partir da voi vorrei;                  パルティーレ ダ ヴォイ ヴォレイ −
Tanto son dolci gli ritorni miei.          タント ソン ドルチ リ゛ィ リトルニ ミエイ 



Whenever we part again                  なれと別れるそのたびに
I feel near to death,                     われ死なむかと思ほゆる。
I wish to part every moment,               いつも別れをのぞむほど 
such is the plesure I feel                  かくもよろこび大いなる
in the life I gain on returning,              また会ふときに得るいのち。
and thus a thousand times each day          ちたびももたび一日に    
I would part from you,                    なれと別れむことねがふ
So sweet are my returnings.                また会ふことの甘美さよ。


   Translation : E. Hargis                     邦訳・GiGi



イタリアのルネサンス期の古楽「Anchor che col partire(アンコール・ケ・コルパルティーレ)」の歌詞冒頭は、ジャズの歌曲「Everytime We Say Goodbye」とおなじなので、対照させてみた。

 イタリア語については、とにかくローマ字読みでほとんど大丈夫だが、Gliだけはそのままカタカナにできない(ギに近いリ)とおもったのでリ゛ィなどと書いた。(ただし現代イタリア語では「i ritorni」になるから変化がちがったらしい?)
 アポストロフォが途中に入っている語は音便でつながっていてこの用法は現代イタリア語にはあまり残っていないようだ。おなじく動詞の語尾のreをrにしてみじかくする語法もやや残っている。
 Tantoが日本語の「たんと」(たくさん)と対応しているが、ここでは英語のSuch「こんなに」の意味らしい。伊和辞書にもその用法がある。
 anchor は古イタリア語における ancora のようで、ほかにChosì (Così) というのもあった。












Everytime we say goodbye


Every time we say goodbye,
I die a little,
Every time we say goodbye,
I wonder why a little,
Why the Gods above me,
who must be in the know.
Think so little of me,
they allow you to go.

When you're near,
there's such an air of spring about it,
I can hear a lark somewhere,
begin to sing about it,
There's no love song finer,
but how strange the change from major to minor,
Every time we say goodbye.


By Cole Porter





さよならを言うそのたびに
こころはすこし死んでいく
さよならを言うそのたびに
わたしはなぜと問いかける
天にまします神様は
すべてを知っておられても
わたしにこころをお向けでない
あなたを行かせてしまうから


あなたがそばに居るときは
春の息吹が身をめぐる
そしてさえずるひばりの声
歌いはじめる恋のうたは
ならぶものないうつくしさ
なのに長調は短調にかわる
さよならを言うそのたびに


邦訳 : GiGi

HUGO HALL フーゴ・ハル氏


  -Tシャツサンプル画像A re


 
 絵師フーゴ・ハル氏のデザインになる格好良いDREAM TIME(夢時間)Tシャツの宣伝を勝手に、しかし正式に許可を得てさせていただきます。
 又別に、不気味かわいらしい「Dead or Alive マグカップ」もあります。(下部画像参照。)

 いずれも注文のみの限定で、08年6月14日に申込が締め切られます。

マグカップともども、東京吉祥寺のセレクト・ショップLIGHT BULBの協力で、
図柄のプリントとTシャツはプロ仕様。
Tシャツのサイズは基本的にS,M,L,XL。
プリントの色は変えられませんが、Tシャツそのものは、
白とサンプルの色だけでなく、その他の色もそれなりに対応できるそうです。
また、XL以上のサイズや、レディースサイズもだいたい対応できそうとのこと。

 値段は1枚税込み¥3950、 代金引き替えの宅急便か、吉祥寺の店に直接取りにくる(その場合はもちろん送料無料)か、どちらか選べます。  
ご希望の方はHUGO HALLさんまで(日本人の方です、念のため!)、
名前/枚数/サイズ/色/宅急便か・店に取りに行くか/住所/電話番号
をお送くりください。
2日以内に返事が来ます。返事が返ってこない時は、
届かなかった証拠なので、もう一度送ってみてください。

 マグカップのカラーは白のみで値段は1コ税込み¥2835。Tシャツと両方買うとシャツは100円引となります。

 
 *よりくわしくは、MIXI内の「ブレナンのゲームブック」コミュニティでご覧ください。
 


       -Tホワイト re   -Tチャコール re  -マグ1 re
       -マグ2 re                         -マグ3 re 
        -マグサンプル画像A re -マグサンプル画像C re 31028444_40.jpg -マグサンプル画像B re

                    


 又、マグカップの怪人の由来をいぶかしく思われる場合はこちらをごらんください。しかしこれはその姿かたちを借りた「詩的魔神」というお方です。








ireland_15326850.jpg




  わたくしごと



 以上は、わかりやすいようにHUGO HALL氏や「グレイル・クエスト」を知らない人にも理解できるかたちで書いたのだが、このグッズの販売はもともとこの本のシリーズの古いファンのために毎年いちど行われているお祭りごとで、今回で五周年を向かえるとのこと。わたしもまたこの古いファンのひとりであって、今回ちっぽけな宣伝をさせてもらうことにしたのだった。
 

 グレイル・クエスト(聖杯探求)シリーズというこの企画乱丁本を小学生のころに読んでいて、たしかに何かしらそこに詩的なひろがりと今では言えるようなものを感じていたのだったが、それは著者のアイルランドの作家ハービー・ブレナン氏のバックボーンとしてのケルトの民話・伝説の世界があったろうと思うのだが、それはまた私にとってHUGO HALLさんの日本版の挿絵の風味にもだいぶ助けられていた。


 結局この挿絵を通して私は始めて西洋的な美術に親しみをもったと言える。(鉛筆デッサンへの愛着こだわりといったものはその後再発しているが、そこにつながりがあるかどうかわからない。むしろ意図的にその後そこにあるものを汲み取ろうとしている。)実際わたしはそのタッチを子供なりにまねて、転校先から遠隔地の旧友のところに自作の企画乱丁本すなわち「ゲーム・ブック」を送り、それが旧友によって紹介されて学校でなかなか評判をとったとかとらないとか、とにかく読まれた、というようなことがあったのだった。



 
Art work by (c)HUGO HALL 
近代和歌ノート

      rembrandt re





 ブログで和歌の鑑賞を勉強・研究としてやっていたがすぐに中断していたので、前二回でやったものをおさらいして再開しようと思う。 




 うつそみに神のゆるさぬゑにしとはかねて思へど猶し悲しも     伊藤左千夫



 というのが伊藤左千夫氏のものでは現在までのところ自分には抜群に好きだ。
 それを見ると、カ行とサ行が全体において歯ごたえのあるかたちで繰り返されているのがわかる。それがある種の完成した音楽性でまとめているのだろうと思う。しかし、それは言葉の他の要素もあってしっくりするようにまとめていくうちに出来てくる物だと思うから、それでつくっていくという筋のものではないだろうと思う。
 
 神というのは内的に言うと良心(「超自我」・理性)は容易にゆるさないという意味でとれるし、またうつそみ、現世そのものが許さない、というような、死のむこうを見渡した視線も感じられる。そうすると、歌舞伎などでよく表された齟齬、出口の無いジレンマの世界にここでは入っている。

 「たしかにこの世で許されないことだとは思うけれども、それでもこのいとしさをおさえることはできない。」というようなことなのだろう。

 「かなし」 は上代では悲しさ−愛しさどちらでもあった。せつなさ、か。

・猶 なほ=それでも   ・し=強調の助詞
・ゑにし=えにし縁、結びつき





昔見し面影もあらず衰へて鏡の人のほろほろと泣く        正岡子規



 正岡子規氏からはまずこれをとったのだが、まず手始めとして、こういう才気が鮮やかなものは便利だ。しかし面白い例だと思う。ここではごく単純な情念がうまく表現されているのは鏡ということを使ったことにあって、それが芸というものを表現してもいる。様式のある芸術というのは、鏡のように澄んだ磨かれた道具を使っていて、ただに感傷にひきこむべく生な意識をむきだしにしようというものでない。むしろ、それが長い生命をもってそこに封入されるためには距離をおいて、リズムと幾何学のある全体で表現を行う。しかもそれでいてそれは有機的であって、記号化された感情ではない。
 そういう意味で、ここには生な感情がカタチというものの冷静さと対比されつつ融和しているということが言えそうだ。
 この歌をレンブラントの自画像にくらべてみる、ということも不可ではないと思う。










 このお話の素描は今回でいちおう終わりです。



 第四回 




 「熊の社」に熊は正座して書をしたためておりました。
 「一心不乱」
 さて目の前の猿に語り掛けました。
 「わたくしは以前人間でありました。それはすこしも悔いておりませんが、熊となることを得まして、より完全なる境を得たかと思っております。」 
 猿は答えました。
 「あなたは大いなる熊になられた。自然があなたに宿した力はあなたを鷹揚にしました。われわれにはあなたはおそるべきものとなられたのです。」
 「いえ、自然という物は、いずれにしても戦いの歴史であります。」
 しばらく山の風が木々の葉をゆらす音がしずかにしました。
 「それでこれからどうなさるおつもりですか。」
 「これからまっすぐに、清めの儀にうつりたいと存じます。」
 「ああ、そうですか。ご決意のことでございますね。」
 「はい。けれどもここでの三年はたのしいものでございました。ある朝などは、起きてみますと縁側に一山の木の実が置いてある。それにすこしはなれてこんどは糞がしてある。それで前の日にどの猿とどういうことをしたかを思い出して笑ってしまったものでした。」
 「それは聞きませんでした。愉快ですな」
 ふたりはくっくっと含み笑いをいたしました。
 清めの儀とは、猟師に正面から勝負を挑むことなのでした。

 

 さて、ウサギと分かれた狐侍は果し合いの指定場所にむかって草を踏み分けて進んで参りました。
 相手は馬鹿梵土(ばかぼんど)と呼ばれる浪人でありました。馬鹿は馬鹿の馬鹿、梵土は涅槃(ねはん)、ニルヴァーナのことであるとのことでした。しかし伊太利亜語であるとのうわさもありましたし、そういう名前の漫画があるといううわさもありますが、読んだこともないので馬鹿にするつもりも無論ないのでした。
 「貴殿が馬鹿梵土であられるか!」
 狐は声を張り上げました。馬鹿は答えとしてつぎのように言いました。
 「馬鹿と梵天、紙一重!!」 
 馬鹿は、と言っても馬鹿にしているのではなくてそれが彼の名前なのです。しかし彼がここで言う馬鹿とは一般の語のことか、彼の名前としての固有名詞なのかはよくわかりません。
 ふたりは刀に手をかけてにらみあいました。

 ばぱーん、と銃声がとおくでいたしました。そのやいな、ふたりは目を反らしませんでしたが、同時に抜き払い、馬鹿の剣が狐を切っておりました。
 銃声のこだまが山間に響きわたっていきました。



Painting : Rembrandt HARMENSZOON VAN RIJN : "Self-Portrait"1669
ニルス NILS
 

       Nils 2 mini




 一枚目の自作の銅板画ができました。
 十年前にアートもののプリントTシャツを着ていたころだったら買ってもよかったかなというような出来にはなりました。もっとも、図柄としては着るのに適さないですが・・・

 
 テーマとしては寓意的なキャラクターで、「ニルス」といいます。これ自体十年前の着想です。現在ではギリシア神話のアポロの分身みたいなものとして考えています。


 (適価で販売します。四十枚限定です。質問・注文は下部のコメント(CO)欄にSECRET(管理人のみ閲覧可)チェックをして連絡先付きで記入して下さい。Tシャツでなくて版画です。図版部分24.5x34.5cm。大きな画像をお送りすることもできます。)
 


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ヘンなお話も連載中です。



其三 熊王生誕



 団子温泉というところでした。
 たましいぬけてゆったりと、
 熊さんがつかっておりました。
 猿は遠くからみていました。
 すると男が来まして、となりにはいってみました。相当に変わり者なんでしょう。すごい度胸です。何のつもりなんでしょうか、人間のところではぐれて自分を犠牲にするつもりだったのか。
 しかし熊は目をぱちとあけましたが、そのままつかっておりました。
 男のほうがむしろもうたえられなくなったので、やけくそなのか、歌を歌いだしました。はじめはしずかに、だんだん大きく、気持ちよさに任せて歌いました。

 わしゃよー
 猿にもあらず
 熊にもあらずーー
 さりとて人にもあらずとよーー

 「ンモ」
 熊が声を出したので男は黙りました。横目で熊を見ます。
 しかし熊はもういちど「んー、モ」
 というと黙ってしまいました。

 いっしょに歌いたかったのかもしれません。
 

  ---


 はじめから宍戸バイケンがくるわけもなく、狐侍(きつねざむらい)が来ました。
 そんなかわいいものが来てもいいのでしょうか。
 しかしじつは狐はこわいものかもしれない。
 何のことなんでしょう。もしかしたら、お稲荷様の奥に住んでいる奇人なのかもしれない。

 しかしその道の途中でウサギに会いました。ウサギはベストとジャケットを着ていてます。
 「やあ、ずいぶんふるい格好をしているじゃあないか。」 
 「ご挨拶だね。いいかい、近代というのは君らの傲慢だったって評判じゃあないか。」
 「それも言い過ぎだって評判にもう移ってるよ、君。だからいまはもういっしょにまたべつべつに、やれることをやろうじゃないか」
 そんなわけでわけのわかったふたりは微妙ににこりとして一緒に歩き始めました。月が冴えています。
 「こういうときはさらさらとススキが揺れるとよいのだがね。」
 「うん。ときに、あの熊といっしょに温泉に入った男ね。あの話。」
 「うん。あれね。きいたよ。」
 「じゃあどうしたってかい。きみのほうのから聴こう。」
 「うん。あれね。じつはあの男自身が熊というあだ名で人里を離れていって山奥の温泉に住み着いていたというんだよ。冬を越えるのにいいってさ。」
 「ああ。そう。やっぱり。でも、あれでしょう」 
 「そう、それがあの主の熊ということになったんだね。もう、猿と温泉に入って、人里のやりかたなんてもう忘れちゃったしね。」
 「そうか。」
 「それだからさ、猟師たちが来て見つかってさ。それで見たら後ろから猿たちがいっしょについてくる。これはちょっと怖いというかね。もうこれは山の動物だって。」
 「ううむ。」
 「それだからちょっとどうしようかって帰って相談したんだけど。だんだんまあ、里のほうでも考えを変えていてね。助け出そうというのはやめたらしい。」
 「それで。」
 「そう。だから、熊の社というのを立てることにしたんだって。それもずいぶん変った話でさ。熊も使えるようにとか言って、猿でもなんでも勝手に入って使えるようにしてそういうのをきれいにつくってやって、それで引き上げたって」
 そこまで話したときにふたりは里を見下ろす高台に来ました。明かりがすこしだけついています。
 ふたりのおしゃべりは止みません。
 「猫岳のことは聞いたかい。猫が修行しに行くっていうんだがね。」
 「ああ。」
 「それが何って、人間が修行をしないっていうだけだろう。人間が修行するようになったらまた、ぼくらが修行しに行くって事にも納得ができるようになるんだよ。意味がかわるからね。」
 「ほうほう。それはおもしろいね。そういえばね、天竺のほうね。あっちのほうの国で、猿がずいぶん崇められているというんだ。」
 「ふむ。それで。」
 「それがね、それでもう人間が手を出せなくなってね。どんどんもう食べ物を盗んでやり放題になってしまったのだ。」
 「それもねえ。」
 「そうだろう。お供えは別にしてるんだよ。そんなのはもう、親を蹴っ飛ばすこどもをちょっと思い出すよねえ。舐めすぎているんだ。」
 「ふん、腹しだいということかな。」
 ススキがさらさらとなっておりました。


---


 しかしそこで翔太は我慢ができなくなってがさがさと草むらから飛び出してふたりにむかって声を張り上げました。「きみたち、聞いてくれ、これはそれではどう思う。黒澤明がね、カバがおじぎをしてふすまを開けて入ってきた夢を見たっていうんだよ。これはどうかね。礼儀正しい動物というのは僕らの勝手かな?あとだね」
 しかしすぐにふたりは後ろを見ながら逃げ出しました。翔太はすこしだけ追いすがりながら続けました。
 「細野ハルオミがだね、タヌキに似ているというんで、自分をみたタヌキをつけていくと、仲間のものに、『いまタヌキが人間になったものを見た。良きことだ。』と言ったというんだ。これは君たち、」
 しかしもうふたりは消え去っておりました。
 「どう思うかね・・・」





Art work by (c)Gigi gordianknot.blog74.fc2.com/
グレース・ケリー ちゃん  Grace Kelly
                600_GraceKelly_.jpg






Mikaの歌でも女優でもない、ここで貫禄あるジャズの大御所と対等の演奏をしているグレース・ケリーちゃんは2006年当時で14歳、脱帽です。







Russell Malone & Grace Kelly







Phil Woods & Grace Kelly















続かぬという言うたのに再開する。題して



意思の森・翔太ロー 



 「わたしの内面に入ってこないで。」
 しかし彼女の額にはモニターがついていたので翔太は目を反らしてしまった。さいわいと写っていたのはニュースだったが、これがワイドショーであったらもすこし鬱であろうと思われた。しかしはっとして翔太はじぶんの額に手をやった。つるりぐにゅりと液晶ディスプレイ。なんとなく液晶でよかったかと無意味なことを思いつつも思わず彼は無を念じたのであった。・・・
 だがどうしてこうなったのか。彼は駅のホームのひとびとを眺めながら考えた。するとテレビ番組が額に写っているひとは目がすわっているだけだが、ネットをやっているひとは目がややうつろなのに気がついた。
 いずれにしても、われわれは芸人のモデルに嵌められているのだ。
 と翔太は重ッ太。いつからか芸人たちが客との垣根をとりはらって、仲間内の冗談ごとをおしつけるようになったころから・・・
 それにまた、ずるい普通ぶりかた。醒めていないとはずかしいし暗くってもいけないのだという冷やかしで出来た防御構造。
 がくっと翔太は居眠りで頭部が前にかしいで目が覚めた。そういえば、子供のころ電車のなかでも頭ががくりとそのときは後ろにかしいで窓にぶつけるほど夢中で遊んだなあ、寝ぼけて意味のわからないことを言いながら居間に出て行ったりもしたなあ・・と翔太はゆるい目つきで思い出した。
 そうだ、とにかく進んでいく時代なんだ。これは悪いことも大きいが、それだけじゃない。漱石はたしかに品位のある観点をもっていた、でも知と文の時代は顧みるということに還元されすぎてしまったのだ。われわれは総じて、「批評家からの大脱走」をつうじて自分の文化を築いてきたのだ・・・
 このように翔太はぐるぐると考えたが、彼の目はじゅうぶんにいまや引き締まっていた。



 夢


 「妹をまもらなければ、僕が。」
 たしかにじぶんには妹がいない、はずだ。翔太はこどものころの夢を思い出した。
 幼稚園で好きだった女の子の夢だった。その子はじぶんの家族のひとりになっていて、お気に入りの食器を使っていっしょにご飯を食べ、夕日のなかに皆で立っていたような気がした。
 翔太は座敷わらしのことを思った。

 遊んでいるうちに、いつのまにか、こどもの数が増えています。みんなまえからいて知っている子なのですが、何回数えてもひとり増えているのです。
 こんなのが、座敷童子です。

 狐の嫁入り。座敷わらし。人形の嫁。座敷わらしの嫁。桃の節句の雛人形。

 ひとりふえているよ。あの娘はだれ。
 ふりかえるとそこには桃の花を咲かせた枝が花瓶のなかにありました。
 はなやかな色の着物の娘の影を追いかけていくと、切られてしまった桃の木の畑に来ました。
 
 それは黒澤明の夢で、桃の花のおはなしです。
 
 座敷わらしの嫁、そんな話はありません。
 いいえ、それは翔太の夢でした。座敷わらしの嫁入りのお話です。

 


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