GORDIAN KNOT ゴルディオスの結び目
Ads by Google
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
小野さんとJAZZ


 ozoto8ssss.gif

















リンク:日本人と『カントリーロード』




-------------------------



付録読切



とんとん、てけてってんてん・・・・♪




気の向くままに、ちょっとばかばかしいお話を。




舞い蹴る上段  (或いはキュビズム的素描ないしまどろみの思考)


「危険が、あぶない。」
翔太は想っ田。不安のパラソルが彼の心のうえに広がりはじめた。彼はパソコンでなければ使わないであろう難しい漢字を使っているのがばれるのが恥ずかしいのであった。そのくせ文脈のうえで不自然な小むずかしい単語を使ってしまっていることは彼の知性のテーブルのはじから気づかないうちに落っこちて猫がふしぎがっていた。
「妹を、守らなければ。ぼくが。」
しかし前後の文章など全体から立ち上るにおいは彼も彼の妹も存在しないということを明白に示唆しとった。
「夢のわたしはわたしであるか、非実在か!」
翔太は文章に示されたおのれの実在の否認に果敢に立ち向かった。
そう、わたしは重う。
翔太はまろびながら嘔吐し、その反吐は輝きかれの目は涙にぬれる。太宰治が使った悪い強調の原則、文章の印象主義といったものを卑俗にしたものがかれの胃を刺激する。
ところが、である。
翔太はいまやうめきながら胃液をまきちらし転げまわる。猫はふしぎそうにかれを見ていた。
そこで翔太は苦しみの和らいだ苦い幸福感にぼんやりひたりながら考えた。これではむしろ太宰が素人文芸の大将として攻撃した作家の簡潔さをほめた、あのだれだったかの文章を薦めたほうがまだいいではないか。


続かない


−−−

TIME MACHINE − 夏樫


einstein.jpg




TM NETWORK LIVE VIDEOS.

1.1974
2.ACCIDENT
3.永遠のパスポート
4.HUMAN SYSTEM
5.1/2の助走
6.JUST ONE VICTORY
7.SEVEN DAYS WAR
8.NIGHTS OF KNIFE





 









銀河鉄道の夜 NOKTO DE LA GALAKSIA FERVOJO


allskymilkyway_brunier.jpg





 


 「銀河鉄道の夜」関連のプレイリストです。一曲目は細野晴臣(YMO)の、アニメ映画のテーマ。
 それから「千と千尋の神隠し」の列車のシーンの音楽ですがこれは関連があります。それは、宮崎駿監督がこのシーンについて長い話を用意したのに時間の関係上やむなくカットしたということで、そのエピソードについて、スタッフに対して「『銀河鉄道の夜』の本当の意味」と説明していたそうです。僕もその話は知らなかったですがやはり銀河鉄道を連想しました。・・
 あとはおなじく久石譲さんの「銀河鉄道の夜」これはたぶんイメージアルバムみたいなものですか。
 あと、YMOの曲で関係はないのですがぴったりのがあったので最後に入れてみました。

 



 Image source 
 http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20060802_milkyway/
テレビジオーネ Televisione

Televisione3.jpg



 テレビに関してすこし思うところがありのろのろ書いている。(長い論理の一部なので続けないと意味があまりないのだけど。)

 どうも最近に日本では何につけ神経過敏な反応が報道に関してあるような気がちょっとするけれども、また一方ではまあイタリアでもそうかなということがある。それは、最近の反動的な傾向のなかで、乱暴な斬って捨てるような雑駁な調子のひとが何か頼りになるというような感じがあるのではないのだろうか。

 実際に性格の力というのかそういうひとに物が見えているという場合もあることではあろうけれども、結局は実際の例が政治家のほうなどで出てみると、やはりそういう慎重さの欠けたべらんめえといういうのはとても公に発言をする立場にある資格がないということがわかってきたように思える。(最近もある著名団体が解消したことに「天罰だ、ざまあみろ」と発言した別の団体の代表がいたけれども、反感を感じていると後日謝意が報じられていてみっともないことであった。関係者間の個人の感情だけであってファンや参加者、一分野の利益がまったく顧慮されていない。言い方を変えるだけで個人の見解として通るものになるのだが。)

 何を考えていたかというと、つまり報道のほうでも(お粗末な)煽動政治家を思わせるそういうのが表に出てきたように思えたのであった。イタリアでも一番よく出てくるキャスターがちょっとそういう感じがあって個人的に見られないのだった。まあイタリアではとくに雑駁な感情的表現はテレビでも何でも当り前で自分にとっても普通だけれども、司会者、とくにキャスターのような立場の人だと耐えられない。


 過剰演出が(積極的なレベルで)ものを見えなくする、というように見れば商業的な今の文化の多くに当てはまる気がする。(たとえば最近タイタニックに匹敵するような規模のイタリアの沈没船のドキュメンタリーを見て打たれたけれども、当時は好きだった映画の「タイタニック」を見たときにはほんのすこしでも現実のタイタニック号事件について考えなかった。ああした演出を私はハリウッド的な「すごいでしょ主義」とか「圧倒主義」とか呼んでいて当時から悪いとは思っていたが、話はいいなと思ったのだった。)



仲秋や Autunno inoltrato
 


  
  こないだイタリアのテレビはドキュメンタリーが多くて充実していると書いたのだが、じっさいその次の日にはダイアナ妃のものを見ながらコマーシャルのときはべつのチャンネルでチャールズ皇太子の母エリザベス二世についてのものを見ることができた。ダイアナ妃の物語には高潔なものがあると同時にひじょうに人間的で卑近なものがある。じっさいにはメディアがいろんな側面を暴き立てたということもあるだろうし、陰謀説があるとしてもやはりあの最後の事件はメディアの責任やモラルについてのつよい意識を喚起し続けてほしいと感じる。

 (ただ番組を見ていて思ったのが、テレビ番組のBGMで有名な曲ばかりを使うと非常にわずらわしいということだった。それらの曲はつよいイメージをそれぞれ持っているので本編への意識をそらされてしまう。それなので最後に「風のなかのともし火のように」と言って "Candle in the wind" が流れ出したときには、ひきこまれていたのだが「もういいよ」と言ってテレビを切ってしまった。)

 とにかく、 映画、外国のものをふくめた刑事や法廷もののドラマ、クイズ番組に並んでドキュメンタリーが多くて勉強になるのだが、日本の場合のようにスタジオのトークに解消してしまうようなところがない(専門家はむしろ必ず登場する)。これは反応や考えることも同時にテレビに任せていると解釈できる気もするが、どちらにせよ自分については個人的にそのほうが精神的に不消化になっていると感じる。また時間を十分にとっていてどれも日本の特別番組くらいの長さがある。ドキュメンタリーはすくなくともきっかけとして感情的な興味・関心のほうからさまざまな領域を学び知ることができる大事なものだと思う。

 つづく。

夏のおわり End of Summer
  manekineko.jpg


Gatti invitanti..



 多少気をつけたつもりが結局夏バテで数週間はかなり非生産的状態になってしましまい、なぜ夏休みがあるのかを理解してしまいました。社会人には夏休みがないのが日本でしょうが、イタリアではすくなくとも店舗は皆しまってしまい、観光客関連ばかりでみんなバカンスに行ってしまいます。大体海にいくようです。ある俳誌のコラムで熱帯の地域ではある種の繊細な感性を前提とする文化は生じないという説が引用されていましたが、じっさいのところ冷房がないと頭を使う仕事のほうはきびしい気がします。イタリアではなぜか(電気代などのためか?)冷房があまり普及していなくて暖房も旧式のスチームです。暖炉をじっさいに使っているところもけっこうあって、火で料理をしたりもします。(また飲み物の自動販売機はごくまれにしかなく、知っているかぎりひとつだけのそれをあてに夜中にいくと、自販機も夏休みでした。田舎でなく小さな大都市フローレンスです。コンビニなんてありません。)
 









 書こうと思ったのはイタリアのテレビについてすこしです。最近気持ち的にテレビを結構活用できるようになったと思うのですが、イタリアではまずドキュメント系が充実しているような気がします。毎日のように数時間つづく結構つっこんだ歴史や科学ものがあります。きょう見たのは旧ソビエトの強制収容所についてで、これもナチスのそれに対比すべき規模の非人間的虐待の記憶として銘記すべきであるという内容で、そこをくぐった人々が出てきました。体制に反対している疑惑があると審議もなくここで死ぬまで労働をしいられることがあるというもので拷問も行われたとのことです。たとえば父親が反体制であったという理由で収容された女性がでてきました。
 大戦時の日本のこともなんとなくこちらのほうが生々しくやっているようにも思いました。それは日本では放映しないような残酷な画像もけっこう出すのですが、それより感覚としてのリアリティが違うようにも思います。移民などもあるしいろいろなことがより時・空的に地続きで感じられているということでしょうか。

 あとは映画をたくさんやります。日本が週末くらいならここは毎日です。しかし最近はむしろ刑事や弁護士のドラマが好きです。それは、ハリウッドのコマーシャルな映画は今の自分にとって、消化がわるくて後味がわるく、むなしい感じがするということでファースト・フードに何となく似ています。もっともよくできたドラマものはべつですが。映画の話は次回として、上記のドラマが好きなのは今けなしたような映画にくらべて嫌味がなくて自然主義で、緊張感があって謎と論理のゲームがあり、人間性があるというところだと思います。イタリアのものもあるし、これはもちろん原語なので生のしゃべりがあってよいですが、吹き替えのアメリカやフランスのなんかもあります。
 ところでこれらの番組は好きなのですが、どうも法関係が多いなと感じたのでした。意味はないかもしれないですがそれにしても多い。もしかしたら、イタリアの主要民営テレビ局は著名なある右派政治家・実業家の手に握られているから体制的なもの、秩序を守るもの、というイメージを押し出しているのかもと思ったわけです。どちらでもかまわないですが。法関係者がこうあるべきだろうと誰しも思うようなかたちで悩める人として出てくるのですから問題はないです。

 意外と長くなったので第二回を次回書きます。



post-434580-1145260144.jpg

18662788.jpg

Copyright © 2005 GORDIAN KNOT ゴルディオスの結び目. all rights reserved.
FC2ブログ
BlogItalia.it - La directory italiana dei blog